東京高等裁判所 昭和50年(行コ)1号 判決 1981年3月10日
控訴人
川原四郎
右訴訟代理人
清水洋二
外二名
被控訴人
新宿郵便局長
丸茂静
被控訴人
国
右代表者法務大臣
奥野誠亮
右両名指定代理人
梅村裕司
外六名
主文
原判決を次のとおり変更する。
被控訴人新宿郵便局長が、昭和四七年三月一八日付で控訴人に対してなした免職処分を取消す。
控訴人の被控訴人国に対する請求を棄却する。
訴訟費用は、第一、二審を通じ、控訴人に生じた費用の二分の一と被控訴人新宿郵便局長に生じた費用を同被控訴人の負担とし、控訴人に生じたその余の費用と被控訴人国に生じた費用を控訴人の負担とする。
事実《省略》
理由
一被控訴人局長に対する請求の当否
(一) 請求原因一、二は、当事者間に争いない。
(二) 控訴人は、本件処分は労働基準法二〇条の予告なしになされたから違法である、と主張する(請求原因三)。
しかし<証拠>によると、被控訴人局長は、昭和四六年一一月一四日付で郵政省事務官に採用され、国家公務員法五九条一項の条件付任用期間中であつた控訴人に対し、昭和四七年二月八日、国家公務員法八一条二項の委任による人事院規則一一―四第九条に基づく免職処分をなす旨を予告したのち、同年三月一八日、本件処分をなしたこと、すなわち本件処分は、特別の規定に基づくことなく雇傭関係を終了させる旨を告知する通常の解雇処分(この場合には労働基準法二〇条の予告が必要である。公共企業体等労働関係法二条一項二号イ、二項二号、四〇条一項一号、国家公務員法附則一六条。)ではなく、前記人事院規則に基づく分限処分の一つである免職処分であることが認められ、この分限処分については労働基準法二〇条の適用、従つて予告の必要はないから(被控訴人局長がなした前記処分の予告も本来は不必要なものであつた。)、控訴人の右主張は失当であり、採用できない。
(三) 以下、被控訴人局長の抗弁二の(一)ないし(四)の各事実の存否について検討する。
1 抗弁二の(一)の1のうち、書留配達事務処理方法が原則的には被控訴人局長主張のとおりであつたことは、当事者間に争いがない。
2 抗弁二の(一)の2の(1)の事実のうち、控訴人が書留配達証の受領を忘れて帰局したことがあることは、当事者間に争いなく、<証拠>によると、その余の右抗弁事実が認められる(但し抗弁二の(一)の2の冒頭記載の、控訴人はその過誤により業務の正常な運営に多大の支障を与えた、ことまでを認めるに足りる証拠はなく、また右<証拠>によると、藤瀬房弘の注意に対し、控訴人は「はい、わかりました。」と答えていることが認められる。)。
3 抗弁二の(一)の2の(2)の事実のうち、控訴人が書留通数をきくため藤瀬主事に電話をしたことは、当事者間に争いなく、<証拠>によると、その余の右抗弁事実が認められる。
4 抗弁二の(一)の2の(3)の事実のうち、控訴人が早稲田大学理工学部に配達した書留の配達証の受領を忘れて帰局したことがあることは、当事者間に争いなく、<証拠>によると、その余の右抗弁事実が認められる(なお右<証拠>によると、吉田明王の注意に対し、控訴人は「はい、わかりました。今日、取りに行きます。」と答えていることが認められる。)。
5 <証拠>によると、抗弁二の(一)の2の(4)の事実が認められる(なお右<証拠>によると、吉田明王の注意に対し、控訴人は「知らなかつたので注意します。」と答えていることが認められる。)。
6 抗弁二の(一)の2の(5)の事実のうち、控訴人が洋書販売店に配達した書留配達証の受領を忘れて帰局したことがあることは、当事者間に争いなく、<証拠>によると、その余の右抗弁事実が認められる(なお<証拠>によると、吉田明王の注意に対し、控訴人は「はい、どうもすみません。気をつけます。」と答えていることが認められる。)。
7 抗弁二の(一)の2の(6)の事実のうち、控訴人がロッテ商事宛速達書留を持たずに出発しようとして斎藤課長代理から注意を受けたことがあることは、当事者間に争いなく、<証拠>によると、その余の右抗弁事実が認められる(但し<証拠>によると、昭和四七年二月二日当時、控訴人は新宿郵便局第二集配課において大口一区を担当していたが、速達郵便物の配達は大口一区の担当外であつたことが認められる。)。
8 抗弁二の(一)の2の(7)の事実のうち、控訴人が洋書販売店宛の書留二六通を受取らずに出発し、帰局後、盛岡副課長から右書留の配達を命ぜられたことがあることは、当事者間に争いなく、<証拠>によると、その余の右抗弁事実が認められる(但し<証拠>によると、当日、控訴人が新宿郵便局四階の第三郵便課特殊係で受領した洋書販売店宛の書留二六通はそれぞれが大きいもの(約五〇センチメートル四方)であつたので、二階の第二集配主事席までおろさず、四階の右特殊係においたまま、書留配達証だけを第二集配課の主事に渡した。右のような場合、洋書販売店から書留を受取りにくることがあり、その処理については第二集配課の主事が指示するのが常であつた。ところが当日、主事は何の指示もしなかつたので、控訴人は、右書留は配達しなくてもよい、と思い、出発したことが認められる。)。
9 抗弁二の(二)の1の事実のうち、控訴人が通区訓練のため昭和四七年一月二四日から新宿郵便局第二集配課通配第五五区に配属され、翌二五日、同区担当の須釜事務官から指導、訓練を受けたこと、控訴人が被控訴人局長主張の時間、就労しなかつたこと、控訴人が被控訴人局長主張のように戒告処分を受けたことは、当事者間に争いない。
被控訴人局長は、控訴人は須釜事務官の指示に従わず、自席を離れたりしたので今井一郎が注意した、と主張するが、右主張に副う、原審における<証拠>は、原審および当審における控訴人本人尋問の結果に照らすと、採用できず、ほかにこれを認めるに足りる証拠はなく、かえつて<証拠>によると、始業後も須釜事務官はその担当の通配第五五区の区分作業に熱中し、控訴人に対し特別の指示、指導をしなかつたので、控訴人は同事務官の後方でその作業を見学し、その後、須釜事務官から郵便物の把束を指示されたのでそれを行い、終了後、手がすいたので台に寄りかかつて第五七区の担当者と二、三言葉をかわしていたところ、今井一郎から盛岡副課長らの在席する主事席に連れて行かれ、「てめえ、俺のいうことが聞えないのか。」などと荒々しい口調で注意されたので、驚きと激しい屈辱感で気が動転し、就労する気をなくし、午前九時五分頃、帰宅するため局を出、午前九時三〇分頃、盛岡副課長に早退したい旨電話連絡をしたこと(但し副課長は早退の許可を与えなかつた。)が認められる。
10 抗弁二の(二)の2の事実は、遅刻を上司に届出なかつた、との点を除き、当事者間に争いなく、<証拠>によると、控訴人は七分間の遅刻につき事前に上司に届出をしなかつたことが認められ<る。>(なお右乙第一六、一七号証によると、右遅刻につき盛岡光雄らがなした注意に対し、控訴人は「どうもすみませんでした。」と答えていることが認められる。)。
11 <証拠>によると、抗弁二の(二)の3の事実が認められる。
12 <証拠>によると、抗弁二の(三)の1の事実が認められる。
13 <証拠>によると抗弁二の(三)の2の事実が認められる。
14 抗弁二の(三)の3の事実は、控訴人が注意に対し反省の色を見せなかつた、との点を除き、当事者間に争いなく、控訴人が注意に対し反省の色を見せなかつたことを認めるに足りる証拠はない(なお<証拠>によると、控訴人は作業用シャツを洗濯に出していたため、当日、私物のシャツを着用して作業をしたことが認められる。)。
15 抗弁二の(三)の4の事実のうち、控訴人が昭和四七年三月一一日、腰をかけて大区分作業をなし、宇野課長に注意を受けたことは当事者間に争いなく、<証拠>によると、その余の右抗弁事実が認められる。
16 抗弁二の(四)の1の事実のうち、控訴人が社会保険事務所に郵便物を配達した際、郵便物が弁当箱に触れ、弁当箱がひつくりかえつたことがあることは、当事者間に争いなく、<証拠>によると、昭和四七年三月八日、社会保険事務所の吉沢守衛から被控訴人局長主張のような苦情申告があり、三月八日、九日の両日、宇野課長が控訴人に対し注意を与えたこと、九日の同課長の注意に対し、控訴人が反抗的態度を示したことが認められる。
17 <証拠>によると、抗弁二の(四)の2の事実が認められる。
18 <証拠>によると、抗弁二の(四)の3の事実が認められ<る。>
(四) 本件処分が、条件付任用期間中であつた控訴人に対する、人事院規則一一―四第九条に基づく分限処分の一つである免職処分であること、前記のとおりであり、被控訴人局長は、抗弁二の(一)ないし(四)の各事実からして控訴人は郵政省事務員としての適格性を有しないものと考え、本件処分をなした旨主張する(抗弁二の(五)の2)。
条件付任用中の国家公務員につき適格性欠如の徴表たる事実が存する場合、任命権者が右規則第九条の分限処分をなすかなさないか、またはなすとしても降任、免職のいずれを選択するかは任命権者の裁量に委ねられており、適格性欠如の徴表たる事実が認められる以上、右裁量が少し位誤つていても、その処分は違法視されることはないが、種々の事情に照らすと処分が著るしく恣意的であつたり、厳し過ぎるような場合には、いわゆる裁量権の濫用があつたとして、それは違法なものとなる。
被控訴人局長が控訴人の適格性欠如の徴表たる事実として主張する抗弁二の(一)ないし(四)の各事実がおおむね認められること前記のとおりである。
そこで以下、本件処分は裁量権の濫用に基づくものである、との控訴人の主張(再抗弁二)について検討する。
1 書留配達事務処理上、控訴人に数度の過誤(抗弁二の(一)の2)が存したことは、前記のとおりである。
しかし書込部分以外については成立に争いなく、<証拠>によると書込部分も真正なものと認められる<証拠>によると、
(1) 控訴人は、昭和四七年九月一日、臨時補充員として採用された後は、後記訓練、研修期間を除き、終始(尤も昭和四七年一月二四日、二五日は通配訓練を受けた。)、新宿郵便局第二集配課大口一区の配達を担当していた、
(2) 大口配達(大口配達先の郵便物を一括して配達)の出発前局内作業は午前八時に始まるが、控訴人はまず新宿郵便局二階の第二郵便課で、同課がすでに大口一区のために落し区分した、ロッテ商事ほか三個所宛の通常郵便物を受領した後、二階の第二集配課において通常郵便物から大口一区への区分作業を手伝い、午前九時頃、四階の第三郵便課特殊係でロッテ商事、洋書販売店宛の書留郵便物を受領し、これを第二集配課の主事に一旦引渡すが、ロッテ商事宛の書留郵便物は一日平均三〇〇通もあり、多い日は四〇〇通をこえた。これら書留郵便物はその後、主事から再交付を受けるが、出発直前までの間、通配区に混入されていた大口一区の書留郵便物が追加交付されることがしばしばあり、また本来は自己の担当外である小包、速達郵便物の配達を命ぜられることもあつた、
(3) 控訴人が担当していた頃における大口一区の一日の配達郵便物の数は、通常郵便物だけでも、一個所で平均三〇ないし五〇通、配達個所は六〇余個所あり、配達所要時間は午前中約一時間、午後約二時間であつた、
(4) 局内作業を終えた後、大体において午前一〇時過ぎ頃、控訴人は、郵便物運送を委託された日本郵便逓送株式会社の運転手つき郵便車(いわゆる日逓車)もしくは官有の郵便車に郵便物を積載して配達に出発するが(郵便車の使用ができず、自転車による配達を命ぜられ、路上で転倒したことが一回ある。)、大口一区の配達区域は交通量の多い新宿区西大久保一ないし四丁目、東大久保一、二丁目であり、種々の交通規制のため、駐停車などにつき特則を認められていない郵便車の走行、駐停車は意のままにならず、配達上の不便を感ずることが多く、また駐車時間を極力切りつめるため配達を急がねばならず、書留郵便物の場合は、郵便物一通ごとに貼布されている配達証に受領者の押印をえ、これを取りはずす作業が煩雑であり、見かねて配達先の従業員が手伝うこともあり、配達証の押印忘れ、受領持ち帰り忘れなども生じ勝ちであつた、
ことが認められ、これら事実からすると、書留配達事務処理上の過誤が生ずる原因をもつぱらその従事者の資質、意欲などに求めることは妥当ではないように思われる。
これに加えて、抗弁二の(一)の2の(1)の事実についての上司の注意に対し、控訴人が素直な態度を示していることは前記のとおりであり、抗弁二の(一)の2の(2)の事実は過誤とはいえない程度の出来事であり、抗弁二の(一)の2の(3)ないし(5)の事実についての上司の注意に対し、控訴人が素直な態度を示していることは前記のとおりであり、抗弁二の(一)の2の(6)における速達郵便物の配達は、本来は控訴人の担当外であつたことは前記のとおりであり、抗弁二の(一)の2の(7)についても、控訴人だけを責められないことは前記のとおりである。
2 また抗弁二の(二)の1につき無許可早退の発端となつた今井一郎の注意が、妥当とはいえない荒々しい口調のものであつたことおよび「控訴人が須釜事務官の指示に従わず、自席を離れたので今井一郎が注意した。」との被控訴人局長の主張が認め難いことはそれぞれ前記のとおりであり、また当日、控訴人がとつた行動は妥当なものではないが、全くの無断職場離脱(早退)ではなく、届出はなしていることも前記のとおりであり、抗弁二の(二)の2において控訴人が勤務を欠いた時間は七分間であり、上司の注意に対し、控訴人が素直な態度を示していることは前記のとおりである。
3 抗弁二の(三)の1ないし4は、控訴人の反抗的態度は別として、事実自体は重大なものではなく、抗弁二の(四)の1ないし3も控訴人の反抗的かつ粗暴な態度に起因するものと考えられる(なお抗弁二の(四)の1ないし3は利用者からの苦情にかかわる件であるが、<証拠>によると、昭和四六年九月から同四七年二月までの半年間における新宿郵便局集配課関係の苦情件数は二四五四件であることが認められる。)。
ところで原審における証人村田理一の証言および原審における控訴人本人尋問の結果によると、
(1) 控訴人の昭和四七年一月二五日の無許可早退の件(抗弁二の(二)の1)につき、被控訴人局長は、昭和四七年二月一日、控訴人を戒告処分に付したが、その際、右一月二五日の件のほか、二月一日以前の控訴人の勤務成績など一切が考慮の対象となつた(従つて右戒告処分においては抗弁二の(二)の1の事実のほか抗弁二の(一)の2の(1)ないし(5)の事実、抗弁二の(二)の2の事実が考慮の対象になつたことになる。)、
(2) また右処分に際し、被控訴人局長は、より重い懲戒処分である減給処分のほか、人事院規則一一―四第九条による分限免職処分をなすべきか否かをも考慮したが、結局、戒告処分を選択した(従つて戒告処分の時点においては、被控訴人局長は、一月二五日の件の非違性は、それまでの過誤などを考慮に入れても、戒告処分相応のものであり、またそれまでの事情一切を考慮しても、控訴人は郵政省事務員としての適格性を有する、と判断したことになる。)、
(3) ところが被控訴人局長は、その一週間後である昭和四七年二月八日、突然、控訴人に、一か月後には分限免職処分をする旨予告したため、右戒告処分後は大過なく(控訴人は昭和四七年二月二日、ロッテ商事宛速達書留五通を主事席前に置いたまま出発しようとして注意されたが(抗弁二の(一)の2の(6))、前記のように速達郵便物の配達は控訴人の担当外であつたほか、<証拠>によると、注意を受けた控訴人は「はい、持つて行きます。」と答え、素直な態度を示していることが認められるから、これを大きな過ちということはできない。)勤務しており、一生、郵便局で働くつもりでいた控訴人は大きな精神的衝撃を受けた、
ことが認められ、このような事態に置かれた若年者(控訴人は当時二二才)が勤労意欲を失い、反抗的になつても(右分限免職予告前においては、上司の注意に対し、控訴人が、昭和四七年一月二五日の件を除き、素直な態度を示していることは前記のとおりである。)左程責めるべきではないから、右分限免職予告後である前記抗弁二の(三)の1ないし4、抗弁二の(四)の1ないし3における控訴人の反抗的態度などを重要視することは、控訴人にとり酷であり、妥当でない(余程の人格者であつたり、かねて退職を希望していたなどの特別の事情がない限り(控訴人はそのいずれにも当らない。)、免職処分の予告を受けた者は、予告後、勤労意欲を失い、また反抗的になるなどして勤務成績を悪化させ易いものであり、この予告後の事情をも斟酌してその後になされた免職処分の当否を考えてよいということになれば、予告が理由なく不当なものであつても、免職処分は理由があることになり、免職させられる者にとり、酷な結果が生ずる。このような場合は予告前の事情が適格性判断の中心となるべきである。なお抗弁二の(一)ないし(四)の各事実と戒告、免職予告、本件処分との時間的関係は別表記載のとおりである。)。
4 更に<証拠>によると、
(1) 控訴人(昭和二四年四月二七日生)は昭和四一年八月、家庭の経済的事情で佐世保東商業高校を中退後、カワハラ電機商会に勤務していたが、蒲田郵便局に勤務していた兄のすすめで、一生の仕事として郵便局で働く決心をして郵政省の募集に応じ、簡単な試験を受けたうえで昭和四六年九月一日、臨時補充員に採用され、同月一日、二日の両日、採用時訓練を受けた後、前記のように新宿郵便局第二集配課に配属され、大口一区担当となり、同日から同月二〇日までの間は訓練期間とされた(但し右採用日以降九月二〇日までの訓練の実態については、配達区域内の道順を覚えるため郵便車の助手席に同乗したり、二日間に亘つて課長らによる講義を受けたほかは、必ずしも明らかではなく、訓練期間内である九月一七日には控訴人は大口一区の配達をなしている。)、
(2) 昭和四六年一〇月二七日から同年一一月一三日までの間、控訴人は名古屋郵政研修所において初等科訓練を受けたが、同研修中の控訴人の成績は極めて良好であり、同年一一月一四日付で前記のように郵政省事務員に採用された、
(3) 控訴人は昭和四七年一月二六日、全逓信労働組合新宿支部に加入した(但し被控訴人局長は、この事実を、前記分限免職処分の予告後である、昭和四七年二月末頃に知つた。)、
ことが認められる。
5 これら1ないし4および郵政省事務員の職務内容を総合的に考慮し、検討すると、控訴人に適格性なしとして被控訴人局長がなした本件処分は、控訴人が右記組合員であることの故になされたものとは考えられないが、控訴人が条件付任用期間中の職員であること、条件付任用制度の趣旨、目的、前記肯認できる抗弁二の各事実を考慮しても、誤つているばかりか、恣意的であり過ぎ、結果的には厳し過ぎるものであり、裁量権濫用の違法がある、といわざるをえない。
二被控訴人国に対する請求の当否
当裁判所も控訴人の被控訴人国に対する請求は失当と考える。
その理由は原判決六三枚目―記録八三丁―裏一一行目の「原告の本訴請求」から同六四枚目―記録八三丁―表八行目までの記載(但し原判決六四枚目―記録八三丁―表一行目の「それ自体失当でも」を「それ自体失当で」とあらためる。)と同じであるから、それを引用する。
三結論
そうすると控訴人の被控訴人局長に対する請求は理由があり、これを認容すべきであるが、被控訴人国に対する請求は失当として棄却すべきことになるから、これと一部異なる原判決を右のように変更することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条前段、九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。
東京高等裁判所第一四民事部
(吉岡進 手代木進 上杉晴一郎)
別表 <省略>
<参考・原判決理由抄>
第三 請求原因
一 原告は昭和四六年九月一日任期を六か月とする臨時補充員(国家公務員法―以下「国公法」という。―第六〇条にいう臨時的任用の職員である。)として採用され、同日から同年一一月一三日まで新宿郵便局(以下に述べるところは同局に関するものであるから、この点は特に明示しない。)第二集配課に勤務し、その間同年一〇月二七日以降は名古屋郵政研修所兼務となり、同研修所において初等部前期訓練を受け、そして、右訓練の修了をもつて郵政省職員採用試験(同法第三六条にいう選考にあたる。)に合格したものとして、同年一一月一四日には事務員(同法第二条にいう一般職の職員である。)として採用となり、以後引き続き同課に勤務していた。
二 被告局長は条件付採用期間中である昭和四七年三月一八日付で原告に対し、人事院規則(以下「人規」という。)一一―四(職員の身分保障)第九条により本件処分をした。
三 本件処分は、労働基準法(以下「労基法」という。)第二〇条第一項所定の予告もなく、また、その処分事由もないのになされたものであるから、違法として取り消されるべきものである。
四 原告は本件処分当時被告国から、毎月一七日に、俸給として月額金四八、六〇〇円、勤務地手当として月額金二、二〇〇円、合計月額金五〇、八〇〇円の給与支給を受けていた。
五 よつて、原告は被告局長に対し、本件処分の取消しを求めるとともに、被告国に対し、昭和四七年三月一九日から本件口頭弁論終結日である昭和四九年九月五日まで、毎月一七日限り金五〇、八〇〇円の給与の支払いを求める。
第四 請求原因に対する認否
一 第一および第二項の事実は認める。
二 第三項は争う。
条件付採用期間中の職員に対する免職処分については、本来労基法第二〇条第一項所定の予告をする必要はないと解される。仮に、その必要があると解されるとしても、そのような手続上の瑕疵は免職処分自体の違法をきたすことはないと解される。のみならず、本件処分については後述のとおりその予告がなされている。また、本件処分の理由も後述のとおりである。したがつて、本件処分に違法はない。
三 第四および第五項は争う。
本件処分は行政処分として、当然無効と認められる場合を除き、公定力を有する。したがつて、本件処分は後述のとおり適法であるが、仮に原告主張のとおり本来違法として取り消されるべきものであるとしても、それが被告局長の職権によりあるいは一定の争訟手続によつて取り消されない限り、原告は事務員としての身分を有することを前提として被告国に対し給与の支払いを請求することはできないのであつて、本訴請求のうち被告国に対し給与の支払いを求める部分はそれ自体失当である。
第五 抗弁
本件処分は、次のような手続ならびに理由によりなされたものであつて、適法である。
一 本件処分の予告
(一) 被告局長は村田理一庶務課長を通じ昭和四七年二月八日原告に対し本件処分の予告をした。
(二) 仮に、右(一)の事実が認められないため本件処分が違法になるとしても、労基法第二〇条第一項の趣旨からして、本件処分はその発令日から三〇日を経過した昭和四七年四月一八日には有効に効力を生じたというべきである。
二 本件処分理由
(一) 書留の配達事務処理とその過誤
1 書留の配達事務処理
原告は事務員として第二集配課に勤務していた間においてはもとより、臨時補充員として同課に勤務していた間においても、ほとんど大口集配区(郵便物が多数到着する会社、事業所等のみを対象とする集配区であつて、これに対し個人等その他を対象とする集配区を通常集配区という。)の一つである大口第一区における普通通常郵便物(以下「普通郵便物」という。)ならびに書留通常郵便物(以下「書留」という。)の配達事務に従事していたのであるが、大口第一区における書留の配達事務処理は次のとおりなされていた。すなわち、(イ)当日配達すべき書留は、普通郵便物の配達準備を完了した時点で主事席において、その宛て先、通数等を確認(これを査数確認という。)のうえ、書留持出票(これには当日配達すべき書留の持出数が記載されている。)に受領印を押して受領し、配達に出る、(ロ)書留を宛て先に配達した際には、書留配達証(以下「配達証」という。)に受取人の受領印を徴してその授受を確認する、(ハ)配達を終了して帰局した後は、持ち戻つた書留と配達したそれにつき査数確認して主事に報告し、持ち戻つた書留を返納して配達事務を終了する、というものであつた。
2 書留の配達事務処理の過誤
原告は、次のとおり、再三にわたる上司の指示、注意にもかかわらず書留の正規な配達事務処理を怠り、業務の正常な運営に多大の支障を与えた。
(1) 原告は昭和四六年一二月九日午後三時四〇分ころ、ロッテ商事に配達した書留のうち二通について配達証の受領を忘れて帰局したうえ、藤瀬房弘第二集配課主事に対し、翌日受領に出向く旨申し出で、同主事から、その日のうちに配達証を受け取つてくるよう命じられて、ようやくその受領に出掛けた。
なお、原告はその前日の同月八日にも右同様の過誤があり、吉田明王同課主事から注意を受けていた。
(2) 藤瀬主事は、右(1)の経緯に照らし、同月一五日午前一〇時一五分ころ配達に出発しようとしていた原告に対し、書留について配達証の受領を忘れないよう、また通数を記録しておくよう注意した。それなのに、原告はこの注意に従うことなく配達に出掛け、ロッテ商事宛て書留の通数を記録しておかなかつたので教えて欲しい旨後刻電話で連絡してきた。
(3) 原告は同月一六日、早稲田大学理工学部宛て書留七通を普通郵便物と区別せずに一緒に配達して、右書留七通の配達証を受け取らずに帰局したばかりでなく、書留の査数確認をせず、上司の点検も受けずに帰宅した。
(4) 原告は同月二三日午前一〇時二〇分ころ、他の者に監視を頼むことなく、局舎一階伝送発着口付近の台車の上に書留を置いたまま一時その場を離れ、これを発見した吉田主事から注意を受けた。
(5) 原告は昭和四七年一月一八日、洋書販売店宛て書留七通を普通郵便物と区別せずに一緒に配達して、右書留七通の配達証を受け取らずに帰局したばかりでなく、書留の査数確認をせず、上司の点検も受けずに帰宅した。そのため、原告は翌一九日吉田主事から、「再三注意されているのにまた忘れるようでは困る。」等と注意された。
(6) 原告は同年二月二日、同日配達すべく交付を受けたロッテ商事宛て速達書留五通を主事席前に置いたまま配達に出掛けようとし、斉藤幹愛第二集配課長代理から注意を受けた。
(7) 原告は同年三月八日、同日配達すべき洋書販売店宛て書留二六通を主事席前に置いたまま配達に出発したため、帰局後盛岡光雄第二集配課副課長から、「書留郵便物の授受について再三再四注意を受けているのに、何時も同じ過ちを繰り返している。」等と注意された。原告は改めて右書留二六通の配達を命じられたのでその配達に出掛けたが、今度は配達証を持たずに出掛け、受領の確証がないままこれを配達して帰局した。
(二) 就労遅延、職場離脱等
1 原告は、通常集配区における通区訓練(集配区における作業を習得するための訓練である。)のため、昭和四七年一月二四日から通配第五五区に配置され、同月二五日は同区担当の須釜事務官から指導、訓練を受けたのであるが、同日作業着手時に同事務官から郵便課に郵便物を受領しに行くようあらかじめ指示されていたのにこれに従わず、また、郵便物を区分し易いように大型のものと小型のものとに分けるよう指示されてもこれに従わなかつたばかりか、大口郵便物のは束を指示された際にはこれを無視して自席を離れ、通配第五七区の作業場所付近の郵便物整理台に腰掛けて六分間位他の職員と雑談する等した。そこで、原告の所属する班の班長(統括責任者)である今井一郎は原告に対し、先輩の指導、指示に従うよう指導、注意した。これに対し原告は、「いちいち言われなくても分かつている。」「そんな細かいことまで言うのか、驚いた。」「何も指示されないからだ。」等と言つて反抗的態度を示し、最後には「俺の話はもう終つた。」と言い捨て、指導を続けようとする今井班長の制止を無視して午前九時五分ころ集配事務室から立ち去り、所定勤務終了時刻である午後四時五分に至るまで、休憩時間四五分を除いて六時間一五分位にわたり職場を放棄して勤務を欠いた。また、その間午前九時三〇分ころ原告から盛岡副課長に局外より電話があつたので、同副課長は原告に対し、すぐに帰局するよう命じたのであるが、原告は、「こんな気分じや仕事ができない。」「班を変えて欲しい。」等と言つて、これにも応じようとはしなかつた。宇野信夫第二集配課長と盛岡副課長は翌二六日原告に対し厳重に訓戒を与えたが、原告には反省の色がなかつた。
なお、原告は、この同月二五日の件について、同年二月一日太田操局長から、国公法第八二条により戒告処分を受けた。
2 原告は同年一月三一日、昼の休憩時間を利用して局外の歯医者へ行つたが、上司に届け出ることなく作業再開時刻の午後一時一三分を過ぎても職場に戻らず、午後一時二〇分まで七分間勤務を欠いた。
3 原告は同年三月八日午後三時ころ配達事務を終えて帰局したが、その後午後三時三四分ころまで上司に無断で離席した。そこで、盛岡副課長は原告に対しこれを問責したが、原告は、「歯医者へ行つて、風呂に入つてきた。」等と答え、何ら反省の態度を見せなかつた。
(三) 勤務態度
1 原告は昭和四七年三月一日午前八時一〇分ころ局舎二階のエレベーター前において、三輪車上に置いてあつた空のファイバー(郵便物を入れる容器である。)を目の高さ位まで持ち上げてエレベーターの方に向けて投げ出し、これを目撃した局内巡視中の太田局長から、「川原君、ファイバーがこわれるではないか。もつと丁寧に扱いなさい。」等と注意されても、これを無視して無言のまま右三輪車を押しながら立ち去り、何ら反省の様子もなかつた。
2 原告は同月八日午前八時七分ころ、両手をズボンのポケットに突つ込んだまま第二郵便課配達区分事務室内をぶらぶら歩いていたので、盛岡副課長から、「きちんとした態度で仕事をしなさい。」等と注意を受けたが、これに従わず無言のまま立ち去つた。
3 原告は同月九日、局側から貸与されている作業シャツでない紅色のワイシャツを着用して作業につき、午前八時三〇分ころ宇野課長から、「貸与されているワイシャツを着て作業しなさい。」等と注意された。これに対し原告は、「洗濯屋に出している。」等と答え、反省の色を見せなかつた。
4 原告は同月一一日午前八時二〇分ころ、大口第一区の郵便物の大区分作業を腰掛けてしていた。そこで、宇野課長は、原告が前日の一〇日にもこれと同じ作業の仕方をして盛岡副課長から注意を受けていたという経緯があつたので、「先日副課長から大区分作業は立つてやるよう指導されているはずだが、駄目じやないか。」等と注意した。すると、原告は、「今日は気分が悪いから、坐つてやるのだ。」等と答え、終始反抗的態度をとつていた。
(四) 配達態度
原告の郵便物配達態度は、配達先等からの次のような申告にあるとおりの、粗暴で投げやり的なものであつた。
1 昭和四七年三月八日社会保険事務所守衛の吉沢から今井班長に対し、同日の原告の郵便物配達態度につき次のような申告があり、宇野課長に対しても同趣旨の申告があつた。今井班長に対する申告の内容は、「郵便物を配達の際机上へ置かずに給食箱の上へ放り投げたため、弁当がひつくり返つてしまつた。呼んで注意しようとしたが謝罪もせずに行つてしまつた。郵便局の仕事は忙しいと理解しているが、済みません、位言つてもいいし、彼の場合はそれが常態であるので厳重に注意されたい。」というものであつた。
宇野課長は同日原告に対し、右のとおり申告があつたことにつき厳重に注意したが、原告は、「謝つたが聞こえなかつたのだろう。」「急いでいたから。」等と言つて、反省の態度を示さなかつた。また、同課長は翌九日原告に対し、謝罪してくるよう指示したが、原告は同課長をにらみつける等して反抗的態度をとつた。
2 周月一〇日木内昭第二集配課主任に対しその部下職員から、原告が同月八日松田ビルへ郵便物を配達した際、郵便物を足蹴りして郵便受箱に入れた旨の申告があつた。そこで、宇野課長は同月一一日原告に対しこのことについて注意を与えたところ、原告は、「証拠がない。」「誰がそんなことを言つたか。」等と言つて、反抗的言動におよび、一向反省する様子がなかつた。
3 同月一一日アゼリア東広ビル管理人の高橋と東京金属保険会館管理人の山崎から、原告の郵便物配達態度につきそれぞれ次のような申告があつた。高橋からの申告の内容は、「川原という人は配達の際管理人室入口ドアをノックせず、入口右側長椅子の上に郵便物を投げてゆくし、ある日はいきなり入つてきて、大口郵便物を長椅子の上に投げたため、ストーブが倒れて大変なこともありました。また、毎日の配達の際、前日の誤配郵便物を持ち帰つていただくようお願いすると、無視して行つてしまうし、常に反抗的で全く困つております。」というものであり、山崎からの申告の内容は、「サンダル、無帽、ノーネクタイで郵便物を地下一階の受付窓口に放り投げてゆくので困つています。投げ方によつてはガラスが破損、カウンターの下に大口郵便物が落ちるので、そのため中の人に当たり怪我でもしたら大変です。私はアルバイトさんと思つていたので、そのうち本務者が配達にきたら聞くつもりでおりました。局長さんは被服着用について注意、指導しておるのでしようか。」というものであつた。
(五) 適格性の欠如
1 原告は臨時補充員として第二集配課に勤務するようになつて以降、次のとおり指導、訓練を受けてきた。すなわち、原告は昭和四六年九月一日と二日の両日には村田課長等から、国家公務員たる郵政省職員としての心得を理解させることを目的として実施されたところの、郵政省の業務の概要、職員としての心構え、明るい職場作り、勤務時間等を内容とする新規採用時職場訓練を受けた。また、原告は同月三日と四日の両日には宇野課長等から、第二集配課において担当する職務に必要な心得、業務知識、技能等の習得等を目的として実施された、集配従事員としてのあり方、集配業務の概要、服務規律、就業規則、事故犯罪の防止、大口集配区の郵便物の取扱い方法やその配達方法、郵便物配達先に対する接遇等を内容とする郵便職場訓練を受けた。そして、原告は同月四日(但し、午後のみ。)、六日、七日の三日間には、大口第一区担当者と軽四輪車に同乗して、配達道順の教示を受けるとともに書留の授受等について見習い、同月八日から同月二〇日までの間には大口第一区の一部の郵便物を実際に配達して実地訓練を受け、さらに同年一〇月二七日から同年一一月一三日までの間には名古屋郵政研修所において初等部前期訓練を受けたほか、日常的には朝礼、暮礼、ミーティング、班別会議、業務研究会等を通じて業務上必要な指導を受けたり、上司から必要の都度具体的作業について個別的指導を受けてきた。
2 原告は右1のとおり指導、訓練を受けてきたのに、その勤務実績をみると右(一)2および(二)ないし(四)のとおりであつた。そして、右(一)2の書留の配達事務処理の過誤は、原告の勤務に対する熱意、集中力、責任感の著しい欠如を示し、右(二)の就労遅延、職場離脱等や(三)の勤務態度は規律性、勤勉性、責任感の欠如を示すものである。また、右(四)の配達態度は、原告が全体の奉仕者たる国家公務員にとつて決定的ともいうべき欠陥を有していることを示している。それに、これらの欠陥等は、上司による指導、注意等とこれに対する原告の言動等からして、容易に矯正できるものではないと判断される。したがつて、原告は条件付採用の期間その職務を良好な成績で遂行したとはいえず、その素質、性格、能力等からして、郵政省事務員としての適格性を有しないと認められるのである。